(´・ω・`)ショボンヌの独白

ショボンヌ党員No.10 の独白

ショボンヌ老子:第1章(体道)

よく「道」って言われますが、それはほんとの意味での「道」とは言えません。
私たちは便利なので物事を適当に分割してそれぞれに「名前」をつけますが、ほんとの意味での「名前」なんてつけられないんです。
天地の始まりのときには名前はありませんでした。万物ができて初めて名前がつけられます。
「無」の立場で物事を見ればほんとの姿が見えてきますし、「有」の立場で物事を見れば外面がはっきり見えます。
天地も万物も同じもの(道)なんですけど、違う名前を持ってます。ほんとは「道」という一つのものですが、その道の状態が変化することでいろんな物事が生まれますよ。「道」というよく分からないもわ〜っとしたものが波打ってると思って下さい。その波のひと山が富士山になり、別のひと山がカツ丼になり、別のひと山がビル・ゲイツさんになったりするわけです。
なので、すべての物事の根源である全なる「道」、一(いつ)なる「道」に名前の付けようがない・・・とか言いながら「道」って言っちゃってますけどね (´・ω・`)ショボンヌ
要は名前や形にこだわり過ぎると根源的なものが見えなくなってしまいますよ、世界は一つですよということでひとつ。



↓これは極端な解釈が少なく、新書版で持ち歩きやすくてお勧めどす。暖かい日に公園のベンチに寝っ転がって読めば気分は無為自然
老子 新版 (新書漢文大系 2)

老子 新版 (新書漢文大系 2)

以上、営業でした。