(´・ω・`)ショボンヌの独白

ショボンヌ党員No.10 の独白

ショボンヌ老子:第33章(弁徳)

他人のことをよく知る人を知恵があるといいますが、自分のことをよく知る人を明知があるといいます。
他人に勝つ人は力があるわけですが、自分に勝つ人はほんとの意味で強いといえます。
ごり押しする人は野望がありますが、足るを知る人はほんとの意味で豊かです。
自分の自然なあるべき姿、いるべきところを見失わなければ滅ぶことがありません。肉体が滅んでも延々と続く・・・まさに「寿(コトブキ)」です。
(蛇足)
出ますた、「足るを知る」。老子のキーワードの一つであり、私の大切なそれでもあります。
「足るを知る:与えられた境遇をそのままに受け入れ、そこに安らぎと幸福とを見出すこと。」
なんか消極的な思想ですね。それじゃ進歩がないじゃん、って思いますよね。でも進歩ってそんなに大切なことでしょうか。今ではなくてはならない車、飛行機、コンピュータ、インターネット、携帯電話等々、それがなかった時代ってそんなに不幸な時代だったでしょうか。自然破壊という問題もあります。文明が進むのも人が技術や知識を増やすのも一長一短ではないかと思ってしまいます。
人ががんばって進歩・進展しようとするのは、それが人としてタダシイありかただと信じ、その先にシヤワセがあるはずだと思っているからです。でも進歩や欲望に終わりはありません。どこまでいっても「もっともっと」です。つまり、そーゆーことばっかりやってたんじゃいつまでたってもシヤワセはやってこないんじゃないでしょうか。
進歩や欲望の追及が悪いというわけではありません。極端にそればっかになりがちなのが問題かと思うんです。貧乏でも不幸な出来事が続いても、シヤワセはいつもすぐ手の届くところに隠れてます。それを見つけられるかどうかは、お金でもなく文明の利器でもなく学歴でもなく容姿でもなく、ただ自分の心の状態にのみかかっていますよ。