(´・ω・`)ショボンヌの独白

ショボンヌ党員No.10 の独白

ショボンヌ老子:第49章(任徳)

聖人さんの心はいつも変化してます。民衆みんなの心を自分の心とするからです。
私は善人を善と認めるのはもちろん、そうじゃない人も善とします。誰もが持ってる徳は善だからです。
私は信*1なる人を信と認めるのはもちろん、そうじゃない人も信とします。誰もが持ってる徳は信だからです。
この世の中に生きてる聖人さんは、控えめな感じで世の中のために心をぼや〜っとさせてます。みんながこれを見聞きしようとしますが、聖人さんは赤ちゃんのようでつかみどころがありません。
(蛇足)
万物は本来ひとつのもので、例えば「自他」のような区別・分別は人間が便宜上定義しただけのものに過ぎないということでしょうか。自分がどーした、あの人がこーしたという問題じゃないんですね。ほんとにこんな心境になれるかどうかは置いといて、本来はこういうものだと知っておくのは大切なのかもしれません。
仏教で言う悟りは宇宙全体との一体感を伴うという表現もあります。キリスト教で説かれる愛も似たようなことでしょうか。私の卑近な経験では、公園とかでノホホンとしてると、空も雲も空気もお散歩中の見知らぬ人も自分も一体となったような感じがしてシヤワセな気分になることがあります。こういうのも少しは関係してるんでしょうかね。
他にもお酒を飲んでの一体感、お祭りでの一体感、コンサート会場での一体感、打ち明け話での一体感、恋人を抱きしめての一体感・・・形はどうあれ人はこういうのを本来的に求めてるんでしょうねえ。

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*1:嘘のない信頼できるもの